有田芳生 プロフィール

【有田芳生のプロフィール】1952年、京都府生まれ。父は共産党京都府委員会副委員長で、参院選に出馬したこともある。学生時代から、共産党の学生組織・民主青年同盟(民青)に所属。共産党系・新日本出版社を経て、フリージャーナリストとして『朝日ジャーナル』『週刊文春』で、統一教会報道に携わる。地下鉄サリン事件以後は、オウム真理教問題のコメンテーターとして名を売った。2007年参院選比例、2009年衆院選で共に落選、2010年の参院選選挙比例で初当選した。権力に擦り寄る一方、共産主義者(左翼論者)として日本解体へと舵をとらんとする言行に危惧する声が後をたたない。

名前「ヨシフ」は、政敵や知識人、反対論者を片っ端から強制収容所に叩き込み、虐殺したヨセフ・スターリンにちなんで命名されている。
自分に都合の良い人は徹底的に利用し、都合が悪い人は手段を選ばず社会的抹殺を策略する嗜好は、まさに共産主義者そのもの。

2012-12-18

有田芳生の幼少時の思い出とは

有田氏が「幼少時の思い出」を彼自身が幾度か告白している。
いずれも「共産党」「左翼活動家」としての深い根が伺えるエピソードだ。

■有田氏が出演した「いつみても波瀾万丈」(1998年9月27日放映)で、
子供心に一番印象に残っていることとして、

「1960年に安保の問題が社会問題になりましたけども、そのときには親と一緒にデモに行った」

と語っているwww 

■さらに「週間文春」の「『家』の履歴書」では、次のように述べている。

「そうそう。鮮明に覚えているといえば、五九年(7歳の時)に『アカハタ祭り』が浜離宮であって、両親に連れて行かれたんです。
 父親が手帳を出して、『あの小父ちゃんのところに行って、サインをもらってきてくれ』と頼むんですよね。・・・・・・それが、野坂参三だったんだけれども・・・・・・でも、あの時の野坂参三の顔と口調はいまでも忘れられないなあ。
 手帳を手にして戻って来ると、親父も嬉しそうにしていましたよねぇ」

やっぱり血統書つきの共産主義者か・・・。
(参考:有田芳生の偏向報道まっしぐら)


※アカハタ祭り・・・・1959年(昭和34年)にはじまった日本共産党が主催する催事。1988年(昭和63年)には、昭和天皇が病で多数のイベントが「自粛」される中であえて開催され、保守系団体から多くの反発を招いた。ここ数回は毎年は開催されず、2002年、2006年、2010年と4年おきのペースで開催されている。

※ 野坂参三・・・・・[1892~1993]社会運動家・政治家。山口の生まれ。慶大卒。衆議院議員、参議院議員、共産党中央委員会議長。大正11年(1922)日本共産党創立時に入党。昭和6年(1931)第三インターナショナルへ派遣され、ソ連・中国などで活動。第二次大戦後に帰国し、党中央委員会議長を経て名誉議長となる。平成4年(1992)スパイ容疑で党から除名。

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